クォーツショック

クォーツショックと機械式ムーブメント。

1970年代のクォーツショックでゼニスはクォーツの時代を受け入れることになり、
ゼニスも一度はエル・プリメロを捨てることになります。
しかしトップダウンの指示を受け入れられなかった当時の技術陣は、全ての精密工具と設計図などを処分せず隠しておいたそうです。
この機転がなければエル・プリメロの物語は1975年に終わっていたかもしれません。
ゼニスのオーナーであったアメリカ企業、ゼニス・ラジオ・コーポレーションが機械式時計の製造をやめて
クォーツ時計に切り替えることを決めた際、同社はあらゆる機械、工具を処分しようとしていました。
時計職人がアメリカ本社にその決定を考え直すよう説得を試みましたが聞き入れられず、実行されることになります。
自分の製造設備が壊されていくのを見ることに耐えられらかった彼は、職を失う覚悟で重要な工具や構成部品を隠したのです。
いつか機械式ムーブメントの人気が再びやってきたらエル・プリメロを復活させたいとの思いもあり、その技術を捨てられなかったのでしょう。
このような職人の行動がなければ、現在のエル・プリメロはなかったかもしれません。
そして1980年代、再び機械式時計が評価されるようになると、保存しておいた機器により復活したエル・プリメロは
他の時計製造者などからも注文が殺到するようになります。
これでマニュファクチュール・ゼニスの完全復活となり、現在に至ります。